住職からのごあいさつ

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今、伝えたいこと。

真福寺住職 田中禅价

平成14年8月盂蘭盆会 41号
スコーレ秋山学派24会「研究論文・レポート募集」

戦後忘れられた、尊敬・感謝・躾

平成14年8月御盆号として「チラシ」を配布したあとで、同じような事件が発生した。今からの教育現場は修羅場となるでしょう。関西の私立高校経営で「しつけ」を重視して発展した高校があると聞いたことがあります。学問を楽しむ前に、授業が成り立たない学校が増加している現状でおこった新しい発想といえます。

また、東京都で都立高校の企業研修を取り入れた実習授業が実施されるようです。
これは、企業研修を高校と提携して各企業が高校生を受入れ、将来の就職に連結していく発想も起こっています。 このことは、企業側にとって安全な生徒を発見しあらかじめ企業側の躾に寄り添う人材確保する防衛手段である。キレやすい高校生を研修中に分別できるからです。

より、的確な人材が学校で育っていない現実に対する企業側の人材確保の防衛だと考えるのは考え過ぎでしょうか。企業の経営者から見た時、突然経営者が気に入らないと言って「死ね」「死ね」といって無造作に刺される恐怖を味わいたくないのが人情だと思いますがどうでしよう。現実に、平成12年にバイトの高校生に店長が刺されて死亡する事件がおこっていることからも連想できます。

他人のすばらしい持ち味を感動し尊敬するところに争いは起こらないとおもいます。

相手に対して「ありがとう」感謝の心があれば馥郁とした幸福感はあっても殺伐とした心は起こらないとおもいます。しかし、現実はまったく逆です。学校教育の崩壊が教育そのものの崩壊を生みはじめているのが現実なのです。

他人と自分の間に共存共栄の心をもつためには「ガマン」という「自己抑制」の心を育てるための「躾」を受けておくことが大切だとおもいます。

未来に希望を託すべき彼ら若者が、殺戮の世界で暗き夢しか描けない事件をおこしました。

平成14年8月17日岩手県で高校1年生が祖父母殺人未遂事件です。家族からの躾注意にたいしてきれたのです。「日ごろから祖父母に生活態度について注意されイライラしていた」という理由で仲間の学生とともに犯行に及んだのです。

平成14年9月8日宇都宮市の高校2年生男子「17」が祖母「75」を絞殺した事件が発生した。パソコンから、インターネットで収集したとみられる死体の写真が多数見つかったという。男子生徒は調べに対し「いつも勉強しろと言われ、うらんでいた」とのべている。勉強部屋の壁一面に「死ね」「殺す」などと油性ペンで殴り書きしていた。

同様な事件が平成12年5月24日に起こった店長刺殺事件でした。33歳の店長の注意指導に「きれた」状態で「死ね」「死ね」と叫びながら包丁で刺殺した事件でした。仕事のための忍耐や教育を受けている時の知識獲得のための我慢ができない、動物的感情表現でしか社会と関われない子供たちが増えていることを証明するような事件でした。彼らのような子供たちが成長し社会に巣立っていったとき、大人になりきれていない彼らが会社の上司から注意されたとき「きれる」可能性があります。再三にわたり「躾の欠落」を話しています。今回の事件は他人からの注意にさえ耳をかさない若者が、家族間においてさえ「自己抑制」が躾(しつけ)られていない若者が増えている証のようにおもえます。若者の多くが社会のルールを無視することになんら罪悪感をもたなくなっていることの現れと思います。大人たちが家庭教育・学校教育の現場で“若者生徒たちを蚊帳の外において”激論を交わしている最中に今後もこうした事件は多々おこっていくだろうと思います。人権擁護を保証するためには「社会で通用する社会マナーを守るルールの教育」が大切だとおもいます。私は、公共市民の安心安全を守るために日夜をいとわず働かれている「警察官・消防士・医師・教師・自衛官・看護婦・ほか」の皆さんに感謝しています。命がけで市民の健康安全安心を保証してくれているのです。多少の不祥事の誤りを騒ぐより、感謝の気持ちでともに人間同士の慈悲心で信頼し大道を保証し導いていただいていることを大切にすべきと考えています。無条件で社会正義のために献身的に市民生活を守っている方々を尊敬する態度が大切なのです。

一昨年、書いた文章を思い出してください。

平成12年5月、相次いで、16歳くらいの青少年の凶悪犯罪が各地で勃発しました。 5月1日愛知県豊川市で17才少年が「人を殺す経験をしてみたかった」という理由で主婦刺殺・5月3日17才少年(平成9年の神戸少年殺人をした加害者を肯定する発言)が西鉄高速バスジャックし乗客殺害・5月22日新潟県六日町のトンネルで16才の少年が灯油で殺害される事件・5月24日鹿児島県で16才の少年が店長刺殺・数か月まえには、5千万円以上の金銭を中学生がいじめて脅し取る事件等々がありました。7月にはいると、高校生が金属バットで母親を殺し「母は殺すしかなかった」といい、自転車で800キロ逃げてつかまりました。9月になると大分県で高校生が1家6人殺傷する事件をおこします。「全員殺そうと思った」といっています。彼らから簡単に発言される殺害にたいする言葉には、「他人を殺す」ことの罪の重さと言葉の重みがない、「死」の意味する重みを感じていない希薄さがありました。彼らの人間としての自覚なき問題行動が繰り返し起りました。山川草木悉有仏性という言葉、生者必滅という言葉、個々の生命はこの世で1度しか輝けない希有な存在である。他人も自分も平等に生きる資格を持っている存在であることを知っていれば、実行するはずのない殺人行為なのです。命の大切さ、尊さを知らない人はいないはずなのに、現実にはこうして毎日の新聞紙面に報道されているのが今日なのです。

わたしは、躾「しつけ」の欠落があるように思えます。「一人一人が自由に自立して、自己実現していくなかで、平和で平安な安心を得る社会が実現する」という考え方が昭和20年の敗戦の日より日本に上陸しました。1945年より55年後の今、自由と平等を主張し義務と責任が影をひそめた時代になってしまったように思えます。いいかえれば、太平洋戦争以前の全否定から文化の伝承を始めたために、こどもの躾「しつけ」・礼儀作法・伝統文化の継承などの欠落を生んだのだと思います。つまり、不易流行がはるか彼方へ撤退し、長幼尊卑の義を守り無礼不実のないように生きることが消滅し、伝統軽視の時代になってしまったところから、親に向かって「きれる」「むかつく」という感情表現しかできない子供を生む結果となったのです。

私は地味な地道な努力をせずに自己の自由の自己主張だけに偏らずに、日本全体の環境との調和を大切にして自己と自然・社会との調和を思い出してゆくことが大切であるようにおもいます。そのためには、個々人が自己の自由の主張にとどまらずに、社会規範や社会環境との調和が自然体となる人の関わりを学ぶ社会人としての自覚が大切だと思います。各人それぞれに、自分を大切に思い、無病息災・平安・安心・安らぎ・癒し・家族の幸福・地域の発展、を願い人は一生懸命生きています。

私たちは、共存共栄の基礎を築き、未来の子々孫々の繁栄へ橋渡しの責任があると考えます。青少年は「未来から来た留学生」といった先生がおります。

我々の未来に希望を託すべき彼らが、殺戮の世界で暗き夢しか描けないとしたら21世紀の日本はどうなるのでしょう。とんでもない「未来から来た留学生」に日本を預けることになるのです。人として労働者として家庭を守り、社会的文化生活をなしてゆくはずの若者たちが大人になれないまま社会人となって巣立ってゆくのです。その大人になれないままの彼らを育てたのが、現代社会なのです。いまからでもおそくないのです。過去の苦労の上に生活の繁栄があることを、社会のルールを守るためには、自分自身の生活と社会との摩擦をなくすためには自身の躾が大切であることを知らせることです。

他人を傷つけることが楽しいような生活を知った子供には、躾をしっかりする大人の態度が肝要です。

幼児期からの家庭教育における躾「しつけ」の欠如が昨今の凶悪犯罪を生んでいるように思えてなりません。家庭における教育力の欠如、地域社会の希薄な人間関係による、地域社会の教育力の欠如、映像文化による言語の粗悪化などがない混ぜ状態で昨今の青少年の凶悪犯罪が増加しているのだと思います。

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住職のはがき伝道

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