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はがき伝道 435号 続ける 

  • はがき伝道 2024年10月6日

    はがき伝道 令和6年9月435号 真福寺

     

    続ける

     

     生きることを死ぬまで続ける。

    気づき続ける。

    一つのことをやり続ける。

    百の説法を説く時間があるなら、

    一つの業をやり続けることが大事である。

     

     光陰惜しむべし、

    時は人を待ってくれない。

    常ならざること迅速である。

    まさに生き死ぬことが第一義だと

    先人は語っている。

     

     「無常迅速」にして「時人不待」は、

    己の事を言っている。

    他人事ではないのである。

     

     昨年より臨済録序文(約二百文字)を書写している。

    毎日同じことを繰り返している。

    その毎日の二百文字があちこち踊り歩くのである。

    時には唐代末の中国の風景が踊り出す。

    時には鎌倉時代の日本の風景が踊り出す。

    時には1120年代の五祖法演禅師が如何なる心境で

    250年後に臨済録を発表したのかと思うとき、

    1120年代の風景が踊り出すのだ。

    近々の我が心境の動揺が

    誤写の写経を生む。

    一年以上同じように書き続けていても

    毎日毎日違うのだ。

     

     人生を生きなおすことができない

    毎日の一瞬さえ完全なものが生まれないのだ。

    同じことを続けることは大変である。

     

     自分の肉体も、息して、飯食て、糞して、

    変わらざる毎日を暮らしているのに、

    風邪をひいたり、大病になったり、事故したりである。

     

     自分を生き続けることが大事である。

    無駄な人生であったと思うなら、

    無駄な人生を生き続けることに乾杯しようじゃないか。

    他人の人生は他人の人生、

    即今只今を生き続けていることが大事である。

     

     失敗と無駄な人生もしつこく続けているうちに

    生きていて良かったと気づくことがあるかもしれない。

    それで充分ではないか。

    毎日の書写業は毎日の気づきである。

    屁理屈が先立っている業はまだまだである。

     

     

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