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はがき伝道 2024年10月6日
はがき伝道 436号 生きる
はがき伝道 令和6年9月(その2) 436号 真福寺
生きる
十人十色
代替えのきかない一度しかない
自分の人生をそれぞれ生きている。
それが生きることだ。
四季を生きる
九月を生きる
大地を生きる
今を生きる
過去を生きる
御先祖様を生きる
経済を生きる
老を生きる
病を生きる
生を生きる
死を生きる
生命の輝きを研ぐ砥石は死である
その死を生きる
蚯蚓(みみず)の如く生きる
苦を生きる
喜を生きる
怒を生きる
哀を生きる
死を生きる
楽を生きる
宇宙を生きる
死ぬまで生を大事にして生きる
生ききるまで体に染み込ませるように生きる
素直に生きる
愚に生きる
賢に生きる
皆一生懸命自分を生きている。
みんな生きるんだね。
生きるって自分を生きる事なんだね。
楽はまどろみ
苦は気づきの覚醒である。
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はがき伝道 2024年10月6日
はがき伝道 435号 続ける
はがき伝道 令和6年9月435号 真福寺
続ける
生きることを死ぬまで続ける。
気づき続ける。
一つのことをやり続ける。
百の説法を説く時間があるなら、
一つの業をやり続けることが大事である。
光陰惜しむべし、
時は人を待ってくれない。
常ならざること迅速である。
まさに生き死ぬことが第一義だと
先人は語っている。
「無常迅速」にして「時人不待」は、
己の事を言っている。
他人事ではないのである。
昨年より臨済録序文(約二百文字)を書写している。
毎日同じことを繰り返している。
その毎日の二百文字があちこち踊り歩くのである。
時には唐代末の中国の風景が踊り出す。
時には鎌倉時代の日本の風景が踊り出す。
時には1120年代の五祖法演禅師が如何なる心境で
250年後に臨済録を発表したのかと思うとき、
1120年代の風景が踊り出すのだ。
近々の我が心境の動揺が
誤写の写経を生む。
一年以上同じように書き続けていても
毎日毎日違うのだ。
人生を生きなおすことができない
毎日の一瞬さえ完全なものが生まれないのだ。
同じことを続けることは大変である。
自分の肉体も、息して、飯食て、糞して、
変わらざる毎日を暮らしているのに、
風邪をひいたり、大病になったり、事故したりである。
自分を生き続けることが大事である。
無駄な人生であったと思うなら、
無駄な人生を生き続けることに乾杯しようじゃないか。
他人の人生は他人の人生、
即今只今を生き続けていることが大事である。
失敗と無駄な人生もしつこく続けているうちに
生きていて良かったと気づくことがあるかもしれない。
それで充分ではないか。
毎日の書写業は毎日の気づきである。
屁理屈が先立っている業はまだまだである。
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はがき伝道 2024年10月6日
はがき伝道 434号 お盆
はがき伝道 令和6年8月55号 真福寺
「永遠のいのち」と題して
庭野日鑛立正佼成会会長は
『仏の教えをやさしく、わかりやすく
説きつづけられた臨済宗の松原泰道老師が、
米寿の歳に詠んだ歌があります。
「八十八年 亡母に手ひかれ
山を越え 川をわたりて 今日をめぐまる」
盂蘭盆にちなんだ講演のなかで、
師はこの歌につづけて
「おかあさん、ありがとう、
この年までこんな丈夫に
生かさせていただいてありがとう―」と
お母様への思慕と感謝の心情を
率直に述べられておられます。
盂蘭盆の季節になると無き父母への
思いが深まるというのは
私だけではないと思います』と語られている。
8月は旧盆さんです。
各家にご先祖様が帰ってきます。
大切な父母、祖父母が笑顔で帰ってきて、
生きている私たちのお迎えを楽しみにしています。
生まれるご縁を頂いた父母に感謝しましょう。
縁によって生まれる絆、
絆によって生まれるご先祖様との
法縁血縁が幸せの絆になります。
故松原泰道老師の言葉が今も響いてきます。
過去のご先祖様から響いてくる
メッセージを受け止めて、
未来の子孫繁栄と幸せを伝承するために
今ある自分を大事にしていきましょう。
かあさん、とおさん、出会ってくれてありがとう。
私を生んで育ててくれてありがとう。
たくさん思い出を残してくれてありがとう。
いつまでも私を守って下さい。
ありがとう。
ご先祖様が帰るお盆さんです。
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はがき伝道 2024年7月18日
はがき伝道 433号 生きる
はがき伝道 令和6年7月433号 真福寺
生きる
人生は敗者復活の無い、
青春、朱夏、白秋、玄冬の
四季を経験しながら、
夏の全国高校野球のように
地方予選一回戦からすべて
トーナメントの勝ち抜き戦の試合である。
そんな一生が人生である。
二度とない一度限りの人生を
父母、御先祖様のお蔭で
この世に生んで頂き
育てて頂いた感謝を大事にして
幸福で温かい気持ちで
終わりたいものです。
“生きてゆく、のこりの道をしなやかに
幸せでしたと、終われるように!”
今73年の人生を振り返って、
そんな人生でありたいと思っている。
今日此の頃です。
良き家族、良き友人知人、
尊敬できる良き師匠、
良き社会に巡り合って
生きていきたいものである。
いつかお迎えが来るのは確実です。
生きてて良かった、いい人に出会えて良かった、
そんな人生でありたいです。
人生は青春、朱夏、白秋、玄冬の四季である。
喜怒哀楽を経験して
四季折々の風景を実感して、
一生は終わる。
生きている今を大事にすることである。
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はがき伝道 2024年7月18日
はがき伝道 432号 桃李自成渓
はがき伝道 令和6年6月432号 真福寺
桃李自成渓
由来は「桃李不言 下自成蹊」
「とおりものいわざれども したおのずからけいをなす」
である。
桃や李(すもも)の花が、人里離れた山奥の
渓流沿いや崖の上にたまたま根付き咲いている風情を思って頂きたい。
長い年月を経て一本の桃李が育ち、
大きくなりしっかりした幹を持ち
根も張って枝を張り
春風に誘われて花が咲く頃、
たまたま旅人が通りかかり
桃李の花を愛でる。
それが毎年の季節になると
次第に現物人が増えていく風景となるのです。
花は一言も語らなくとも
人が集まってくるのです
そこに計らいはありません。
花は唯々一生懸命咲ききるだけなのです。
私達も自己を磨き、
一つの事を一筋に
生きていることで、
何も言わずとも
大きな人生の道が
自ずとできてゆくのではないでしょうか!
二宮尊徳翁は
「声もなく 香もなく 常に大地は
書かざる経を繰り返しつつ」
と「不文の経」を語っています。
生かされている今を大事に、
感謝の心をもっていきたいものです。
二度とない自分の人生を大事に生きて行きましょう。
「花も美しい
月も美しい
それに気づく心も美しい」
円覚寺管長足立大進
『美しいこと』に気づく心を磨きましょう。