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はがき伝道

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  • はがき伝道 2020年6月2日

    はがき伝道 令和2年 2月 376号 真福寺

     

     月在青天  月は青天にあり

     水在瓶   水は瓶にあり

               唐 薬山惟儼禅師

               唐儒者「李翺(りこう)」

     

     月は青天にあり、

    人それぞれが、与えられた日常の中で輝き、

     水は瓶にあり、

    自分に与えられた本分をわきまえ、

    その中で苦しんだり、

    泣いたり、笑ったり、と多様性のこの人生。

     自分の本分を心得て行く事である。

     

     水瓶の水は荒れたり、静まったり、

    唸ったりするが、

    瓶を出ずである。

    与えられた環境を飛び出して

    生きることはできない。

     

     地球、空気、水、山、川、草木の中に

    我々は生きて死んでゆくのだ。

    そのことは水瓶の水のようなものである。

    水瓶が地球環境である。

    人間同士の環境の変kは

    水のようなもので、

    水瓶を飛び出しては、

    水は平常心を保つことはできないのである。

     

     

     

     

  • はがき伝道 2020年6月2日

    はがき伝道 令和2年 1月 375号 真福寺

     

    「すべてのものは移り行く 怠らず努めよ」

     

     故松原泰道老師は

    「釈迦の人生観は精進の二字に尽きる」。

    亡くなるまで、求道精進に生きた人であると

    『致知』11月号に書かれていました。

     

     精進とは、生まれてより死に至るまで、

    励んで怠らない努力を尽くしきることである。

     

     母の精進により私は今、生かされている。

    母のお腹で十月十日受胎成長し、

    この世に生み育てて頂いて、今の私があるのです。

     

     母なくして、私なし。

    父なくして、私なし。

    父母のご縁は不思議な出会いになる。

    その不思議な出会い、ご縁は過去に遡れば

    遡るほど無限の生命の不思議な出会いによって

    今ある私につながっていることに驚かされます。

    全ての命は母の懸命な精進によってこの世に誕生するのである。

     

     母の精進とはいかなるものか。

    「父母恩重経」に父母の十恩というものがある。

     一つは「懐胎守護の恩」である。

    一生懸命、母は身籠った我が子のために

    懐胎十月の間、暑さ寒さも忘れ

    ひたすらお腹の子を守るということである。

     「臨産受苦の恩」、ご存じの様に

    母は出産に当たって、青竹をも握り潰すという

    苦しみの中で我が子を産み落とすということ。

     「生死忘憂の恩」、母は無事我が子を産み終わって

    赤子の顔を見た時どんな憂目をみても育て上げたいと

    志を発する気持ちをもつということ。

     「哺乳養育の恩」、母は赤子の我が子と

    目と目を見合わせて授乳して、

    ひたすら我が子の生育を願う心をいう。

     「究意憐愍(きゅういりんみん)の恩」、

    母親は我が子に対して生きている間は勿論のことであるが、

    死んだ後までも我が子のためを思い、

    常に慈しみを忘れないほど

    強い愛情をもって我が子を大事に思う心をいう。

    女性は女神である。(と私は思う。)

     

     

  • はがき伝道 2019年11月19日

    はがき伝道  令和元年12月 374号

     

    「日本の紀元法」 令和の新年号によせて

     

     西暦645年初の元号「大化」より

    1400年にわたり

    日本独自の紀元法が使われてきた。

    それが戦後、昭和25年に

    「元号を廃止し、西暦を採用すべき」との

    申し込みを政府に対して行った会がある。

    それは日本学術会議である。

    日本学術会議とは学者の世界における

    国会に相当する機関である。

    その申し入れには

    「元号には科学的な意味がなく、

    天皇統治を表わす元号は

    国民主義国家に相応しくない」

    との理由が挙げられていた。

     

    その後昭和54年に

    「元号法」が法制化されて現在に至っているが、

    その時元号廃止が現実化していたら、

    日本国の国民の主軸となる骨が消えて、

    伝統と誇りが雲散霧消していた可能性もある。

    世界の中で、天皇家が

    世界最古にして最長の王朝である。

    日本民族の誇りを日本人の手で

    消滅しようとする学者集団がいたのである。

    元号という不易の縦糸を

    日本人の手で切るような愚行で

    「昭和」の元号で終焉していた

    可能性があるのです。

    日本人が自国の歴史に関する知識が

    あまりに乏しいことがこうしたことを生む

    土壌になっているのです。

    自国を誇りとしない国民がいる

    世界的にもめずらしい国ということになる。

     

    戦後の社会現象として表れているのが

    歴史教育である。

    その最たるものが聖徳太子を

    歴史教科書から消し去り、

    国民の意識から

    消失させている行為に見ることができる。

    国を愛する心、

    自分たちを育んでくれた郷土を愛する心、

    母校を愛し先生を尊敬する心、

    祖父母や両親に感謝する心も、

    子や孫を慈しむ心も、

    今希薄になっている。

    日本という大地に守ってもらい

    生かされている感謝の心が

    学校教育によって

    消失し始めていることが原因だと思っている。

     

     

     

  • はがき伝道 2019年10月21日

    はがき伝道 令和元年11月 373号 真福寺

     

    「忘れるなよ!」

     

    過去の御先祖様の思いを忘れさせない。

    感謝の心、報恩謝徳の心を思い起こし、

    忘れさせないシステムが寺院である。

     

    各家々においても御先祖様は各時代を

    一生懸命生きて、現在の我々に

    生命を伝承してくれいます。

    その生命の恩人である御先祖様は

    「先人の苦労を忘れるなよ!」

    「御先祖様ありがとうの心を忘れるなよ!」

    と言っていると思います。

    感謝の心を顕彰する作法が宗教儀式です。

    その宗教儀式を伝承し、

    過去から現在、現在から未来に向けて、

    継承する場所が寺院です。

     

    今、1400年前、日本国民の精神、

    神儒仏の柱を建てられた聖徳太子様を

    忘れさせようとする日本国民が現れている。

    それは戦後歴史教育を論ずる学者が提唱したことで、

    歴史教科書から聖徳太子が消えてしまったことに表れている。

    過去の各時代を生きた先人の徳を消滅させているのです。

     

    1400年間培われた太子の徳を

    わずか戦後80年間で消滅できるものではありません。

    「歴史教育は日本国民の生命が守り続けた、

    日本国民の誇りを継承するためにある」と私は考える。

     

    昭和20年代の歴史教科書には聖徳太子の項目があり、

    太子没後、太子の一族は暗殺され歴史の舞台から消滅する。

    太子の残した遺産の一つが「日本」という、国名です。

    それまでは倭(わ)と言っていたのです。

    日本国は過去から現在まで日本人によって

    守られてきたのです。

     

    その生命の声を聴く時

    「過去を忘れるなよ!」

    「先人の苦労を忘れるなよ!」

    という生命の思いを感応道交すべきだと思います。

     

     

  • はがき伝道 2019年10月21日

    はがき伝道 令和元年10月 372号 真福寺

     

    「人生は邂逅である」【小林吉弥氏書より】

     

    「邂逅」とは人との出会いを指す。

    敵対せず、本当の話ができる友人の輪を広げたい。

    断然、人生は楽しく、それがどこかで結実し、

    道を拓いてくれることにつながるのだと

    思いたい。と書いてある。

     

    元衆議院副議長の渡部恒三氏は、

    「一度出会った人とは、生涯付き合う気構えできた。

    結局それが自分の最大の財産になっている。」

    と言っている。

     

    人が人である喜びを感ずることは、

    良き友、最上の尊敬できる師をもつことである。

     

    100万年位でつくられた新皮質に

    蓄積された知識の「盥」で泳ぐ人生より、

    38億年かけて蓄積された古脳のひびきを感ずる

    「盥」で泳ぐことができる人生を生きていくことが

    良き友、よき尊敬できる師に出会うことにつながると思う。

     

    そして、人生の達人の言葉や風情を体感できるまでに

    情熱をもって生きていきたいものである。

    そのためには、人は人との出会いで

    一生の明暗が決まることを肝に命じて、

    己事究明に徹することである。

     

    運命を生きる自由を引き受け、

    今あることを無理していやいやながら

    飲み込むのでなく、

    運命を納得して、受け入れて、

    飲み込むことが喜びの生き方になる。

     

    二項対立を一つとして受け入れて生きる。

    納得しにくい矛盾の問題をすべて

    迷わず納得して受容して飲み込むことである。

    それが結果として、

    笑顔の人生を送ることになる。

    生きてて良かった。

    生まれてきて良かったということになる。