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はがき伝道 2018年11月27日
はがき伝道 361号 坎為水 習坎 Ⅱ
はがき伝道 平成30年11月361号 真福寺
「坎為水(かんいすい) 習坎(しゅうかん) 」(坎為水の卦)Ⅱ
第二次世界大戦後に生まれた体制が、
崩壊しはじめた時代に突入している。
戦後の陽の時代の終焉は、
陰の時代の幕開けとなる。
現代はあきらかに陰の時代である。
陰の時代はエネルギーが切れて、
ものごとが滞る時代である。
思い通りにならないのが陰の時代である。
こうした、エネルギー切れで、
ものごとが停滞する時代に必要なことは、
まず充電である。
陰の時代は、
大地の滋養の時代である、
土壌づくりの時だ。
土さえ良ければ、
種は大きく育つ。
陰の力を強めれば陽の気は自然に育っていくのだ。
そのためには、
無理せず、焦らず、頑張りすぎず、ゆったり過ごすことである。
長い陰の時代は、
次の陽の時代へ向かって
遠い光をたよりに歩んでいくのが大事で、
着実に一歩一歩進んでいくためにも、
力を温存していくことが必要である。
受容する心、素直に現実を受け入れて、
忍耐が必要な苦労の時である。
受け入れることで、人間の厚みが生まれる。
苦しみが度重なるごとに、
繰り返しその時に習うことである。
縄文時代から連綿と続く歴史の繰り返しの中で、
現代まで経験してきた人々の苦しみの歴史は
無尽蔵である。
その時代の苦しみと悲しみを学び、
習いながら、
乗り越え、現代に辿り着いてきたのが
人類の歴史なのだ。
人は出来れば経験したくない時と向き合う。
大変な苦難を乗り越えた経験は、
いまの自分を支えていると、
必ず思えるようになる。
人は苦しい悲しいことを経験します。
その苦しいことを習うのだといっても、
習えるものではないと思うものです。
しかし、現実の今を生きていくためには
習うことしか救われる道はないのです。
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はがき伝道 2018年10月12日
はがき伝道 360号 坎為水 習坎
はがき伝道 平成30年10月 360号 真福寺
「坎為水 習坎」
『苦しみに陥ったなら、
水のように流れる心をもって毎日を過ごし、
少しでも前に進んで行くことです』。
「もし、一生に一度あるかないかという
大変な苦しみに陥ったなら、
生きる気力をなくしてしまいます。
大切な人を失う、
重い病を患う、
災害に見舞われる。
こうしたできれば遭遇したくないほどの
苦しみの時を説いているのが、
坎為水の卦です」。(超訳易経より)
先の見えない混沌とした時代は
太古の時代より
現代まで変わらず、
繰り返し繰り返し、
繰り返されてきました。
非日常の世界が日常なのである。
現代の世の中だけが
混沌としているわけではないのです。
誰でもその人にとっての幸福を願います。
しかし、同じ幸福を願うなら軋轢は生まれません。
十人十色の幸福を認めるなら当然、
十人が十人の要求の中で生きる以上、
意見の違いを生み、
争いが起こるのは当たり前になる。
天変地異は人間の計り知れない
宇宙の摂理です。
陰が極まれば陽に転じ、
陽が極まれば陰になる。
物理的宇宙のゆがみは
新しい変化変動を生じる。
その時人間にとって
天変地異という言葉で不安を生むのです。
大自然の変化は大宇宙の原理の中で
地球が動いているのです。
インドネシアでM7.5大地震があり、
北海道でM7.5の大地震があり、
ウルトラ級の台風が数回にわたり
沖縄から本州にかけ
縦横に横切り
多大な災害をもたらした。
天地人合一という言葉の通り、
天と地に生きることしか出来ない。
素直に今ある現実を
受容する時、
生かされている今に
感謝が生まれると
私は思っている。
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はがき伝道 2018年9月15日
はがき伝道 359号 ひと手間
はがき伝道 平成30年9月 359号 真福寺
「ひと手間」
「すべての仕事に『ひと手間』を加える。
その積み重ねが
他社にはできない付加価値に変わる」
と繊維商社「丸眞」の社長は言っている。
座学の知識も大事だが、
現場の実地から学ぶことが大事である。
現場に学ぶためには、
常在戦場の気持ちをもって
「ひと手間」の工夫を毎日考え、
トレーニングし、
日々、己事究明の精神を忘れず、
ひとつことに専心努力することである。
他人の話を聞いて
「そうだね」と思うだけでは
自己の能力向上は図れないのだ。
現場の本番一回を実施するために
事前の反復練習は
10~100回必要とする。
実践、考察、新しい思考による
発見の実践、実践の反省、事前の練習という
繰り返しの中で、
新しい気づきから
「ひと手間」の実践が生まれるのだ。
「ひと手間」の実践の失敗を恐れず、
改良、考察、再考察から生まれた
新たな「ひと手間」の実践をすることで
成功の方程式が生まれる。
事前のトレーニングを繰り返すためには
内面にそのことをすることが
「大好き」で「楽しい」という
感性の凄まじい内発的発動がなければ無理である。
今を生きていくための
「ひと手間」を考え、
実践していくことを楽しむことが
幸福成功の秘訣かもしれない。
物事の成功は久しく続けることが第一である。
続けなければ完成はないのである。
中国のことわざに
「道は近くとも、
行かなければ到達せず、
事は小さくても、
行わなければ成就しない」
とある。
成功を手に入れるにはゆっくりあきらめず、
愚直に研鑽努力することである。
「ひと手間」の努力を!
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はがき伝道 2018年8月23日
はがき伝道 358号 「危機管理」
はがき伝道 平成30年8月 358号 真福寺
「落語家の危機管理」と題して
立川談四楼が平成30年6月11日付日経文化面で
こんなことを語っている。
落語家には
前座、二つ目、真打の三つである。
二つ目、真打の全員が結構ハードな
前座修行を経験して
精進するのだそうである。
前座の時代を立川談志は
「修業とは理不尽に耐えることなんだ」
と言っていたそうです。
ベテランは異口同音に
「真打になった時より
二つ目になった時の方が
嬉しかった」と。
落語家の危機管理のルールは、
兄弟子、先輩が言われることは
「いいかい、すぐに謝るんだよ」
「言い訳は御法度だよ」
とにかく謝罪が先なんだ。
謝ると『次は気をつけな』となる。
私も寺で小僧をしたことがあります。
寺に入ると兄弟子や、
修行から帰ったばかりの
バリバリの雲水の先輩さんがいました。
入ったその日から
日点、掃除、朝課、食事
なにからなにまで知らぬことばかりでした。
何をやっても怒鳴られ
「バカ、マヌケ、よくそれで大学に入ったな」でした。
頭にくることばかりでした。
そんな時に、
修行から帰ってきた先輩が
私に教えてくれた言葉は
「ここはな、
白い物を師匠が黒と言ったら、
理屈無しで黒だと言うことを覚えろ。
それが小僧のルールだ。
先輩が何を言っても『ハイ』と言え。
口より先に体を動かせ」でした。
改めて思い出しました。
あの小僧生活があったお陰で
今の私が無事に
生きているのだなぁと思った。
「まさに小僧修行時代の危機管理」でした。
厳としたルールを守っている組織が
長期的に繁栄し、存在する。
それが組織に伝承されたルールであり、
良き伝統ということになる。
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はがき伝道 2018年7月28日
はがき伝道 357号 「己事究明」
はがき伝道 平成30年 7月 357号
「人生に近道はない、まずは己事究明が先である」
桃栗三年、柿八年。
実がなるためには時間がかかる。
あせって結果を求めても無駄である。
納得のいく結果を得るためには
修養研鑽がいるのである。
物事の機が熟するために必要な時間がある。
時節因縁を感ずべし。
途中で機が熟するまで
我慢出来なくなって
諦めてしまいがちだ。
短絡的にすぐ結果を
求めてはだめである。
思いがけない転機が
いつ訪れても対応できるように、
日頃からしっかり自分を
磨いておかなければいけない。
怠らずに自分磨きを続けておれば
必要とされて仕事の方からやってくるものである。
自分磨きをしていれば、
自然に繁栄黄金の華が咲くのだ。
小さな積み重ねの努力が大事である。
積み木も早く高くしようと
縦にだけ積み過ぎると倒れてしまう。
土台をしっかりと横にして
積んでいくと
高く積めるようなものである。
早く結果を出そうとすることは
人生の積み木崩しをするようなものである。
地道にやってきたことの積み重ねによって
人生の花は咲くのだ。
馬鹿になりきって
地道に生きることは大変なことだ。
他人の目は気になり、
横道に目が向くものである。
しかし、一途にこの道と決めた方向を
研鑽努力し、
地道に生きて学習することを
うまずたゆまず実行し
自分磨きに徹することが
成功の秘訣かもしれない。
他人の芝生は良く見えるものである。
他人に振り回されて
横道にずれても
自分の本筋は磨かれないことを
覚悟すべきである。
禅の世界は深く、
知ろうとすれば
山林に迷うがごとく、
非力の自分を実感するのが
本当のところである。
禅の己事究明に徹することは
大変なことである。