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はがき伝道 2025年4月16日
はがき伝道 438号 人生二度無し
はがき伝道 令和6年11月 438号 真福寺
人生二度無し
その人生を幸福に生きるためには健康が資本である。
健康に生きることが運を呼ぶ源泉である。
人間は地球全体のシステムに内包されていて、
地球環境と切っても切れない密接な関係の存在にある。
自分の健康を考えることは
地球の健康を考えるのと同じなのだ。
人間の代謝や免疫あるいは精神活動は、
腸内細菌に依存しており、
無数の微生物と共に生きている超生命体が人間である。
そして素粒子(フォトン)が人間細胞の根にあたる。
素粒子が雲状の集合体であるのと同じように、
無数の微生物の集合体が人間の体である。
宇宙や地球を取り巻く自然と
人間を切り離した考えは、
対立を生んでも共生は生まない。
我々の遺伝子と
全地球の生命体(植物、微生物、動物)のDNAは
同じゲノムで構成されている兄弟である。
山川草木悉皆成仏である。
共生する心を持つことが大事である。
すべての存在に目に見えない「氣」があり、
それは素粒子の「氣」かもしれない。
良きことを思うとき、
良き「氣」が発振する。
良き「氣」の発振が相手の良き「氣」と共振することで
幸せオーラが生まれるのだと思う。
宇宙や地球の天と地に遍在する「氣」と和合し、
幸せオーラの中で共振し合うとき、
笑顔が生まれるのです。
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はがき伝道 2025年4月16日
はがき伝道 437号 「ありがとう」
はがき伝道 令和6年10月 437号 真福寺
「ありがとう」 私はあなたに出会えて良かった。
縁と絆の授かり物で私は生きている。
これからも感謝の気持ちを大事にして、
幸せなフォトンを発振する人生を歩いて行きたい。
73年生き続け、活動し続け、
学び続け、感動し続けることができ、
気付きの連続の中で生かされているのも、
あなたと出会えたおかげです。
父母があなたをこの世に産んでくれたお蔭で
私はあなたの心に生まれました。
38億年のとてつもない時間をかけて
あなたを産む縁をつむいでくれた父母に、
私は心より感謝します。
宇宙のすみずみまで晋延(ふえん)する素粒子が
あなたという分子をつくり
肉体を授けてくれたのです。
縁が父母の生命のスイッチに火をつけてくれたおかげで、
あなたはこの世に誕生することができたのです。
そして父母からもらったDNAがあなたの体で発動し、
生命活動が始まりました。
無為無策の誕生から73年後の今
私という心が発振するまで、
よくあなたは有限唯一絶対の命を大事に
守りつづけてくれました。
そのお蔭で、私は今大事なことに気づくことができました。
ゼロポイントフィールドから発動発振する
命の喜びを私が知るために、
73年の時間がかかったのです。
もし仮に、昨日あなたが生命の終演を迎えていたら、
私は授かりもののあなたに
感謝することはできなかったのです。
即今只今
あなたが元気であるお蔭で
私は生きる喜びを知ることができたのです。
これからもあなたと私が合一共振し、
よろこびの幸せオーラを発振し、
生きる喜びを共有できる隣人を引き寄せ、
七色の虹が輝く仲間と共感する日々を送っていきましょう。
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はがき伝道 2024年10月6日
はがき伝道 436号 生きる
はがき伝道 令和6年9月(その2) 436号 真福寺
生きる
十人十色
代替えのきかない一度しかない
自分の人生をそれぞれ生きている。
それが生きることだ。
四季を生きる
九月を生きる
大地を生きる
今を生きる
過去を生きる
御先祖様を生きる
経済を生きる
老を生きる
病を生きる
生を生きる
死を生きる
生命の輝きを研ぐ砥石は死である
その死を生きる
蚯蚓(みみず)の如く生きる
苦を生きる
喜を生きる
怒を生きる
哀を生きる
死を生きる
楽を生きる
宇宙を生きる
死ぬまで生を大事にして生きる
生ききるまで体に染み込ませるように生きる
素直に生きる
愚に生きる
賢に生きる
皆一生懸命自分を生きている。
みんな生きるんだね。
生きるって自分を生きる事なんだね。
楽はまどろみ
苦は気づきの覚醒である。
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はがき伝道 2024年10月6日
はがき伝道 435号 続ける
はがき伝道 令和6年9月435号 真福寺
続ける
生きることを死ぬまで続ける。
気づき続ける。
一つのことをやり続ける。
百の説法を説く時間があるなら、
一つの業をやり続けることが大事である。
光陰惜しむべし、
時は人を待ってくれない。
常ならざること迅速である。
まさに生き死ぬことが第一義だと
先人は語っている。
「無常迅速」にして「時人不待」は、
己の事を言っている。
他人事ではないのである。
昨年より臨済録序文(約二百文字)を書写している。
毎日同じことを繰り返している。
その毎日の二百文字があちこち踊り歩くのである。
時には唐代末の中国の風景が踊り出す。
時には鎌倉時代の日本の風景が踊り出す。
時には1120年代の五祖法演禅師が如何なる心境で
250年後に臨済録を発表したのかと思うとき、
1120年代の風景が踊り出すのだ。
近々の我が心境の動揺が
誤写の写経を生む。
一年以上同じように書き続けていても
毎日毎日違うのだ。
人生を生きなおすことができない
毎日の一瞬さえ完全なものが生まれないのだ。
同じことを続けることは大変である。
自分の肉体も、息して、飯食て、糞して、
変わらざる毎日を暮らしているのに、
風邪をひいたり、大病になったり、事故したりである。
自分を生き続けることが大事である。
無駄な人生であったと思うなら、
無駄な人生を生き続けることに乾杯しようじゃないか。
他人の人生は他人の人生、
即今只今を生き続けていることが大事である。
失敗と無駄な人生もしつこく続けているうちに
生きていて良かったと気づくことがあるかもしれない。
それで充分ではないか。
毎日の書写業は毎日の気づきである。
屁理屈が先立っている業はまだまだである。
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はがき伝道 2024年10月6日
はがき伝道 434号 お盆
はがき伝道 令和6年8月55号 真福寺
「永遠のいのち」と題して
庭野日鑛立正佼成会会長は
『仏の教えをやさしく、わかりやすく
説きつづけられた臨済宗の松原泰道老師が、
米寿の歳に詠んだ歌があります。
「八十八年 亡母に手ひかれ
山を越え 川をわたりて 今日をめぐまる」
盂蘭盆にちなんだ講演のなかで、
師はこの歌につづけて
「おかあさん、ありがとう、
この年までこんな丈夫に
生かさせていただいてありがとう―」と
お母様への思慕と感謝の心情を
率直に述べられておられます。
盂蘭盆の季節になると無き父母への
思いが深まるというのは
私だけではないと思います』と語られている。
8月は旧盆さんです。
各家にご先祖様が帰ってきます。
大切な父母、祖父母が笑顔で帰ってきて、
生きている私たちのお迎えを楽しみにしています。
生まれるご縁を頂いた父母に感謝しましょう。
縁によって生まれる絆、
絆によって生まれるご先祖様との
法縁血縁が幸せの絆になります。
故松原泰道老師の言葉が今も響いてきます。
過去のご先祖様から響いてくる
メッセージを受け止めて、
未来の子孫繁栄と幸せを伝承するために
今ある自分を大事にしていきましょう。
かあさん、とおさん、出会ってくれてありがとう。
私を生んで育ててくれてありがとう。
たくさん思い出を残してくれてありがとう。
いつまでも私を守って下さい。
ありがとう。
ご先祖様が帰るお盆さんです。