-
はがき伝道 2023年7月28日
はがき伝道 421号 二度とない人生だから
はがき伝道 令和5年 7月 421号 真福寺
二度とない人生だから
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛を注いでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳を傾けてゆこう
二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう。
貧しいけれど心豊かに接してゆこう。
坂村真民先生は「二度とない人生だから」
という詩を残している。
人生という舞台にやり直しはない。
同じ舞台の幕は二度と開けられない。
一生という字は「生は一つ」と書く。
一つの生と書き、一つしかない生命といえる。
何して生きようが、
必ず終わりがくるのが一生である。
納得のいく生き方をしないで、
死んでゆくことは淋しい。
私の舞台を生きるために、
多くの縁と絆を大事にして、
我が人生悔いなしと、
一生を終わりたいものである。
安岡正篤先生は
「縁尋機妙、多逢聖因」といっている。
縁と絆が笑顔の自分を招来できるように
生きたいものである。
「伊勢物語」に
“月やあらぬ春や昔の春ならぬ
わが身ひとつはもとの身にして”とある。
50年前に大学キャンパスでバカ騒ぎをした
新潟の住職二瓶が旅立った。
二度とない人生であることを
実感する今日この頃である。
-
はがき伝道 2023年7月28日
はがき伝道 420号 お任せする心
はがき伝道 令和5年6月(その2) 420号 真福寺
お任せする心
幼児のように真っ直ぐな心で
「御先祖様はありがたい!」と感動し
「御先祖様にお任せします」と信じ切り頼り切る。
盥(たらい)の水の中に泳ぐ金魚たちは
すべて盥の世界に身を任せ、
お任せして生きている。
宇宙生命という盥の中で
生かされているのが私達だ。
春夏秋冬の季節から
離れて生きていけない。
春には春の世界にどっぷり浸かりきって
お任せして過ごす。
夏には夏の清々した夏雲の下で
汗をかきながら
全エネルギーを受け止め切ってお任せする。
秋は秋の風を受け止めて、
山の錦絵を体感して、
風情の中でお任せする喜びの心を受け止め、
尽くしきる。
冬は冬の寒さを全身で受け止めて
お任せする心を大事にする。
四季の移り変わりを全身で受け止め、
お任せする心で過ごした
春夏秋冬の時中を経て迎えた春に
花は咲き競うのである。
四季の四苦八苦を
お任せして生かさせて頂き、
花は感動を与える春を迎えるのである。
大自然の手の中で巡り巡り、
四季は変わらぬ繰り返しの風情を現出する。
その不変の真理を悟って
お任せすることが安心を頂く妙諦である。
昨日の花は今日の花ではない。
しかし、花はお任せして
咲き尽くすのである。
雨が降ろうが、
風が吹こうが。
人生は苦があろうが、病があろうが、
楽があろうが、
今あることを素直に受け入れて、
親神様の手中に
身をお任せして、生きるのです。
明るく、明るく、
生命を生かさせて頂いている今を
お任せすることである。
-
はがき伝道 2023年7月28日
はがき伝道 419号 花
はがき伝道 令和5年6月 419号 真福寺
花
「花は黙って咲き、
黙って散って行く。
けれどもその一時一処に、
この世のすべてを託している。
一輪の花の声であり、
一枝の花の真である。
永遠にほころびぬ生命のよろこびが
悔いなく、そこに輝いている」
柴山全慶老師
春夏秋冬の一年が
生命の全部(ぜんぶん)である。
春は春、夏は夏、
秋は秋、冬は冬の一部(いちぶん)の時中を過ごして、
一年という全体の生命活動が躍動し
次の一年に発展進化する。
春だけにすべてを求めることを
時流という。
春は春の一時の姿であり、
すべてではなく、次の夏を迎える時中である。
人生は生老病死という時中を生きて、
次の時中に生命活動を委託する。
人生という全部の中には
栄枯盛衰がある。
そのどこを切り取っても、
私の全部の一部でしかない。
栄は一生の時中であり、
枯も一生の時中である。
いつまでも栄え続けることもなく、
いつまでも枯れ続けることもないのである。
一輪の花が咲くために
一年の春夏秋冬を費やして、
一瞬の輝き光を放つのである。
生命の姿の一部が春の光であり、
夏の光であり、秋の光であり、冬の光である。
生命の全体は春夏秋冬である。
どこかだけを切り取って、
自分勝手に思っていくことを時流という。
-
はがき伝道 2023年4月15日
はがき伝道 418号 夢
はがき伝道 令和5年 5月 418号 真福寺
吉田松陰の言葉
「夢無き者に理想なし
理想無き者に計画なし
計画無き者に実行なし
実行無き者に成功なし
ゆえに夢無き者に成功なし」
JR九州を一部上場まで成長させた唐池恒二氏が、
日経「私の履歴書」の最終稿の巻末に
書いていた文章が上記の吉田松陰の言葉である。
リーダーに求められるものは
夢を持ち、実行する。
情熱をもって実行する気概が大切ということだと思う。
建長寺たより第87号に
建長寺専門道場師家酒井泰玄老師は
「毒言吐いたら自分も浴びる」
「蒔かない種は咲かないが、
望まぬ花が咲いたなら
昔その種をまいたのだろう」
安芸の国(広島)の「伝道掲示板」から
二題を紹介している。
師は人生で起こる様々な出来事は
人智の計り知れぬことばかりであり、
お釈迦様の説かれた「因果」の理法から
何人たりとも逃れられない。
自分の思うようにならないことの不条理の濁世を、
浄土と住みなす方便、智慧が仏教ですと説く。
そして、最後に師は
昭和60年8月12日、日航機123便が墜落、
520名の尊い命が失われた。
この便に搭乗予定の「さんまさん」でしたが、
当日収録が早く終わり、
一便早めたために
九死に一生を得たのでした。
と語っています。
因縁という題で書かれた師の言葉といい、
唐池氏の言葉といい、
人に生まれて一生を送る中で、
夢を実行実現するためには
不条理の世を生きる方便智慧を
実直に素直に受け止めて
学び勉強し続ける
誠実な生き方が大事と思う。
それが御先祖様から受け取った命を
精一杯生きることだと思う。
人生に無駄はないということです。
-
はがき伝道 2023年4月15日
はがき伝道 417号 先縁尊重
はがき伝道 令和5年 4月* 417号 真福寺
先縁尊重
先縁の原点は両親である。
親なくして我はない。
生み育ててもらい今があることを感謝する。
親は生命の根っこである。
根っこに水をやらなければ
すべての植物は枯れる。
親を大事にする。
先祖に感謝することは
根っこに水をやるのと同じである。
「父母の恩の有無厚薄を問わない。
父母即恩である」(西晋一朗ヨリ)
両親の生まれ育った大地を感謝することです。
ローマはローマたらしめている
大地を守ろうとする意識が薄れて滅びたという。
陸奥宗光の父は
「春風の雪のとざしを吹くまでは
雪籠りせよ谷の鶯」と宗光をさとした。
鴨長明は
「ゆく河の流れは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず」と言った。
人生は一度しかないのである。
世の中の人々がつい見逃している
様々な人生の喜びを
再発見すること、
わかりやすく心身に
しみこませてゆく幸せを体感することで
朝夕のさえずりを聞き、
心を清めることである。
死にたいと思うより、
生きたいと思うことである。
それが幸福の第一歩である。
桜のように散る生き方もある。
細く長く、
ぼちぼち生き延び、
だらだら生きるのもいいと思う。
かっこ悪かろうが、
ぶざまであろうが、
「しゃあないなァ」で生きるのもいいね。
「あれか」「これか」でなく、
「あれとこれと」
「あれもこれも」でもいい。
生きてることが大事だよ!
米寿の母が飴をなめなめ言った。
「人生なめるんじゃない」と。
生きてりゃいい。生きてりゃいい。