はがき伝道 令和2年 6月 380号 真福寺
『生きている私』
この世に生まれ出ることは、
自分の意志で出来るものではない。
父母より生を受けたというが、
父母の前は、
一人の男性がいて、
一人の女性がいた。
この地球上の数十億の人間の中の
一人一人だ。
その男性と女性が、
それぞれの場所で生まれて、
それぞれの両親に育てられ成長した。
乳幼児から少年少女時代を経て、
父母に育てられ、
やがて青春時代を迎えて、
男性と女性はある時
ある場所
ある状況の中で出会った。
これは奇跡だ。
そして、縁があって夫婦となった。
これも奇跡だ。
二人は愛し結ばれ、
かつて少女だった妙齢の夫人は
身籠って母となった。
これも奇跡だ。
28日周期で訪れる、
ある人ある時の
決定的瞬間に、
2億とも3億とも言われる
精子の中の一つが、
壮絶極まる生存競争の果てに、
卵子と出会い、結ばれる。
選ばれし勝利の一瞬だ。
この時卵子は戦い疲れて
辿り着いた勇者の精子を
抱くように迎え入れて
優しく静かに、
しっかりと新しい
生命への活動を始める。
生命のなんという
荘厳なイニシエーション(儀式)だろうか。
偶然が偶然を呼び、
その偶然が奇跡を生み、
その奇跡が新しい奇跡を起こす。
果たしてそれを偶然というべきか、
奇跡というべきか。
いまここに
自分が生きているという事実。
『運命を拓く』中村天風より
すべて、自分が今日あることへの
絆と縁に結ばれた必然。
そのものではないかと思う。
はがき伝道 令和2年 5月 379号 真福寺
『かあちゃん』
「かあちゃん」は平成26年4月14日旅立った。
今年はコロナ伝染病の真っ只中での七回忌である。
何かにつけて、かあちゃんを思い出す。
“囲碁のオフ会”の“アマリンさん”から
命じ日お花を頂いた。
お礼が遅れて電話した。
その時、“かあちゃんのことは忘れませんよ”と言われた。
昨年12月、96歳で父が旅立った。
私の目の前から妻や父が消えていって
はじめて気づく思いがある。
妻や父に限らず、
多くの人達のご縁と絆で
生かされて、
今ここにいることを実感している。
やり返しのきかない人生と思っていても、
失ってはじめてわかる実感である。
人は皆、人に言えない悲しみや
歓びを抱えて生きている。
夫婦の呼び合いも「田中くん」から
「あなた」となり、「とうさん」、
時には「和尚さん」と呼び。
私は、出会った頃は坂口と呼び、
「田中」の姓に変わり、
「美世子」、「かあさん」「かあちゃん」になった。
今七回忌を迎えて、
思うことは時に喧嘩をし、
時に仲直りして
いつしか50年近い夫婦生活をして、
今の風景を作り出してきたのだということを思う。
安岡正篤先生は
「人に大切なものは
知識よりも、才能よりも、
何よりも、真剣味であり、
純潔な情熱である」
と言っている。
かあちゃんはそんな一生を
生きた女性であったと思う。
「語らざれば憂いなきに似たり」
という言葉が似合う、
「かあちゃん」はそんな妻でした。
はがき伝道 令和2年 4月 378号 真福寺
「こつこつ」
こつこつ こつこつ 書いてゆこう
こつこつ こつこつ 歩いてゆこう
こつこつ こつこつ 掘り下げてゆこう
「悩める子に」
だまされてよくなり、悪くなっては駄目
いじめられて良くなり、いじけては駄目
踏まれて起き上がり、倒れてしまっては駄目
いつも心は燃えていよう、消えてしまっては駄目
いつも瞳は澄んでいよう、濁ってしまっては駄目
坂村真民
昨年12月18日、
私の父であり、東光寺住職を
70数年務めた師匠が96歳で旅立った。
今、はからずも師匠と書いたが、
父が若いころは
決して師匠なんて書くことはないと思っていた。
そんな私が、70の年を間近にして、
自分の愚かさに気づき、
自分を産み育ててくれた父母の恩を感じ、
「ありがとう」の心を
心底伝える気持ちになるために、
親子の隙間を埋めるのに、
これほどの時間がかかるのだと実感している。
この詩は、父そのものの人生と私は思った。
父は、産みの両親と、
1~2歳で別れて、
田中の姓に変わった。
以来父の人生は
真民先生の詩のようなものだったのだろうと、
父の死後知ることになる。
生前、父はほとんど自分の出生について
語ることなく旅立っていった。
苦労と苦悩と笑顔で96年、
こつこつ、こつこつ、
唯こつこつ生き切った
父の人生であったと今感じている。
はがき伝道 令和2年 3月 377号 真福寺
無賓主 臨済録「両堂斉喝、賓主歴然、照用同時、本無前後」
「運命は決まっている」しかし、同時に
「運命は自由である」。
アインシュタインは「光は波であり、
同時に粒子である」と提唱した。
人生には「運・不運、明暗、生死陰陽」等々
左右対称の如く、
二律肯反が同時に並立してやってくる。
どちらも自分の人生であり、
すべての生き方に存在している。
朱天峙(そばだ)つともいう。
紙の表は文字絵、情報だらけ、
しかし裏は真っ白である。
人生という生きている時間は情報だらけ、
しかし死後は無である。
昼間活動している私たちは
夜はデフラグして、
次の活動の準備をする。
心臓は一秒間の中で、
オン・オフをしている。
しかし、オン・オフでも
昼でも夜でも
生死でも
全て矛盾が共存していることで
私は存在できているのだ。
運命は変えられない、
時間空間に縛られている。
しかしその縛られている中で、
運命は自由である。
いかに自由に生きられるかが大事である。
生かされている時間空間の中で
自由に生き切ることが
納得いく人生ということではないだろうか!
まったく正反対な異なるものが
同時にそこにあるということである。
己事究明とはここにあるような気がする。
老師様は「無賓主」と言われた。
はがき伝道 令和2年 2月 376号 真福寺
月在青天 月は青天にあり
水在瓶 水は瓶にあり
唐 薬山惟儼禅師
唐儒者「李翺(りこう)」
月は青天にあり、
人それぞれが、与えられた日常の中で輝き、
水は瓶にあり、
自分に与えられた本分をわきまえ、
その中で苦しんだり、
泣いたり、笑ったり、と多様性のこの人生。
自分の本分を心得て行く事である。
水瓶の水は荒れたり、静まったり、
唸ったりするが、
瓶を出ずである。
与えられた環境を飛び出して
生きることはできない。
地球、空気、水、山、川、草木の中に
我々は生きて死んでゆくのだ。
そのことは水瓶の水のようなものである。
水瓶が地球環境である。
人間同士の環境の変kは
水のようなもので、
水瓶を飛び出しては、
水は平常心を保つことはできないのである。