はがき伝道 令和2年 1月 375号 真福寺
「すべてのものは移り行く 怠らず努めよ」
故松原泰道老師は
「釈迦の人生観は精進の二字に尽きる」。
亡くなるまで、求道精進に生きた人であると
『致知』11月号に書かれていました。
精進とは、生まれてより死に至るまで、
励んで怠らない努力を尽くしきることである。
母の精進により私は今、生かされている。
母のお腹で十月十日受胎成長し、
この世に生み育てて頂いて、今の私があるのです。
母なくして、私なし。
父なくして、私なし。
父母のご縁は不思議な出会いになる。
その不思議な出会い、ご縁は過去に遡れば
遡るほど無限の生命の不思議な出会いによって
今ある私につながっていることに驚かされます。
全ての命は母の懸命な精進によってこの世に誕生するのである。
母の精進とはいかなるものか。
「父母恩重経」に父母の十恩というものがある。
一つは「懐胎守護の恩」である。
一生懸命、母は身籠った我が子のために
懐胎十月の間、暑さ寒さも忘れ
ひたすらお腹の子を守るということである。
「臨産受苦の恩」、ご存じの様に
母は出産に当たって、青竹をも握り潰すという
苦しみの中で我が子を産み落とすということ。
「生死忘憂の恩」、母は無事我が子を産み終わって
赤子の顔を見た時どんな憂目をみても育て上げたいと
志を発する気持ちをもつということ。
「哺乳養育の恩」、母は赤子の我が子と
目と目を見合わせて授乳して、
ひたすら我が子の生育を願う心をいう。
「究意憐愍(きゅういりんみん)の恩」、
母親は我が子に対して生きている間は勿論のことであるが、
死んだ後までも我が子のためを思い、
常に慈しみを忘れないほど
強い愛情をもって我が子を大事に思う心をいう。
女性は女神である。(と私は思う。)