2023.11
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はがき伝道 2023年11月27日
はがき伝道 426号 弥勒菩薩像
はがき伝道 令和5年 12月 426号 真福寺
雲上青天 不易弥栄
誓願弥勒 菩薩耕雲
令和5年10月23日
旧東光寺跡地に
弥勒菩薩像を建立した。
戦後法隆寺の弥勒菩薩像が
国宝第一号に登録された。
その弥勒菩薩像をモデルにして
高さ2メートルの座像を
旧本堂を見下ろす丘上に
安置することができた。
室町時代より、明治15年本堂焼失までの
約400年の間、
御先祖様が守られ供養されていた聖地を忘れず
未来の子孫繁栄のために
安寧の「弥栄」を祈念して
令和5年11月20日早朝より、
住職読経、シュタール演奏をする。
役員関係者立会いのもと開眼する。
今あることを大事にすることは、
過去仏を大事にすることである。
そして、未来仏を尊崇することである。
その過去現在未来の橋渡しを
弥勒様に託して、
檀信徒が現世を安心して
過ごせるように生きてゆくことを
祈念、御願して、
供養入魂の経一巻を読誦した。
「仏が仏を念ずれば
一声唱うる称名も
諸仏の浄土に通徹す。
助けたまいし弥勒仏」
10月23日建立の日、
弥勒様の縁を紡いで出会った
塩田さんが仏の世界に旅立ちました。
御冥福を祈念します。
過去仏となられた御先祖様を
忘却することは現在ある現在仏を否定し、
未来仏を失却することである。
而今只今を生きる幸せは
御先祖様を大事に
報恩の感謝を忘却しないことに
他なりません。
良き新年をお迎えください。
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はがき伝道 2023年11月17日
はがき伝道 425号 相続也大難
はがき伝道 令和5年 11月 425号 真福寺
相続也大難
相続也大難
父母子法燈
三十八億年
唯余一喝禅
無平仄
①何事も相続することは大いに難しいことである。
②親が子に、子が孫に生命を伝承することも大変なことである。
③生命の法燈は今日まで38億年間消えることなく
私まで伝えてもらった。なんとありがたいことだろう。
④しかし、だからこそ伝統や文化というものは
気を抜くと消滅してしまう。
多くの文明、多くの国家、生まれては消滅していったではないか。
一瞬の気の緩みで38億年の伝統も消滅することがある。
禅はそこのところをご用心ご用心と
警鐘をいつもならしていることをお忘れなく。
ロボット博士森政弘先生はは
「僕たちの生命は、
お母さんから生まれた時に
突然発生し、
死ぬときに一瞬に無くなってしまうと
普通に思われているようなものではない。
永遠の過去から、永却の未来へと
受け継がれてゆく、
宇宙の大生命そのものが
僕たちの生なのである。
そして、同時に宇宙の一切合切が
僕たちの親戚なのだ」と言っている。
長田弘作氏は「亡くなった人が後に遺してゆくのは、
その人の生きられなかった時間であり、
その御先祖様(死者)の生きられなかった時間を
ここに在る自分がこうして今生きている」と言っている。
生命の伝統は相続して
生き続けてきたのである。
ありがたいことです。
精一杯生かされている生命を
生き切りたいものです。
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はがき伝道 2023年11月17日
はがき伝道 424号 同行二人
はがき伝道 令和5年10月424号 真福寺
同行二人 塩田明子様の為のはがき伝道です
私はたった一人の孤独な人間ではない。
父母の縁でこの世に生まれた時に
一人ではないのだ。
歳を重ねる度に
多くの人との出会い別れをしていった。
ただ、私が活きる筋に
身心共にピタリと合う人に、
共鳴できる人に出会えないことが
孤独という闇にさまようことになる。
でも、私の背中には
多くの縁と絆で結ばれた御先祖様がいる。
無限の存在の御先祖様の胸元に
甘えて休むことを思うとき
孤独な淋しい苦しい心は解放されて
大海で自由に泳いでいる
清々しい気持ちになるのではなかろうか。
みんな孤独で淋しいけど一人じゃないよ!
みんな一度しかない人生を大切に生きている。
私もその一人。
心の安心が大事。
甘えることが大事。
御先祖様に甘えるなら、
無償の愛に包まれて
心を受け止めてくれる。
それが御先祖様の神通力だと思う。
無限の愛の慈悲の中で
生きて安心して
眠ることが大事。
同行二人ははすべての人に存在する。
しかしそれを信じない人は
孤独の淋しさから
抜け出せないだけです。
信じる心の大安心は
同行二人と信頼関係です。
私は一人じゃない、
死ぬときも一人じゃない。
一緒にご先祖様はそばにいてくれるのです。
家族も友も、何もかも大事な同行二人です。
そして、過去仏、御先祖様は
最高の心の同行二人です。
一人じゃないよ!
一緒だよ!
大宇宙の大親様の元に生まれて帰るだけの
私の一生だよ!
信じることが大事。
一緒に共鳴して一度しかない人生を
大事に感動して生きて行こうじゃないか!
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はがき伝道 2023年11月17日
はがき伝道 423号 原風景
はがき伝道 令和5年9月423号 真福寺
忘れられた原風景
桃栗三年、柿八年という言葉がある。
果物を植栽して、
数年たたねば実がならない喩である。
どんなにおいしいものでも
待たねば実ってくれないのである。
春の田植えをして夏を過ぎ、
秋の実りを待って米となる。
多くの人の手を経て、
家庭の食卓に届くのである。
待つ習慣が生活の中で
子供のころより習慣として
学んでいたのが
昭和30年代までの
日本の原風景だったのです。
夕焼け小焼けで日が暮れて
山のお寺の鐘が鳴る
おおてて繋いでみな帰ろ
カラスと一緒に帰りましょ
こんな風景の中で川遊び、
田畑の草むしり、
秋の御神輿、祭り風景、
冬の田んぼで滑る下駄スケート、
雪が降れば竹を半分に割って作るスキー等々、
自然の中で季節を感じ学んだものは
何事も一生の宝である。
コツコツと地道に学び続けて
始めて成功の果実を手に入れる。
しかもこつこつと地道に学び続けても
失敗がある。
その失敗を繰り返すことで
大きな喜びの成功を体験する。
そのことを少年期に自然と共生する中で
大人になっていた。
それが過去の日本の風景だったと思う。
幼少期の我慢とコツコツを学ばず
即席の結果を手に入れる習慣しか学ばずに
社会人として世に出ていくとき、
キレやすい社会人が多くなる。
自衛隊の研修期間3か月の末
教官に発砲する事件が起きた。
戦後教育の欠落している何かを
語っている事件と思う。