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はがき伝道

2024.07

  • はがき伝道 2024年7月18日

    はがき伝道 令和6年7月433号 真福寺

     

    生きる

     

    人生は敗者復活の無い、

    青春、朱夏、白秋、玄冬の

    四季を経験しながら、

    夏の全国高校野球のように

    地方予選一回戦からすべて

    トーナメントの勝ち抜き戦の試合である。

    そんな一生が人生である。

     

    二度とない一度限りの人生を

    父母、御先祖様のお蔭で

    この世に生んで頂き

    育てて頂いた感謝を大事にして

    幸福で温かい気持ちで

    終わりたいものです。

     

    “生きてゆく、のこりの道をしなやかに

    幸せでしたと、終われるように!”

     

    今73年の人生を振り返って、

    そんな人生でありたいと思っている。

    今日此の頃です。

     

    良き家族、良き友人知人、

    尊敬できる良き師匠、

    良き社会に巡り合って

    生きていきたいものである。

     

    いつかお迎えが来るのは確実です。

    生きてて良かった、いい人に出会えて良かった、

    そんな人生でありたいです。

     

    人生は青春、朱夏、白秋、玄冬の四季である。

    喜怒哀楽を経験して

    四季折々の風景を実感して、

    一生は終わる。

    生きている今を大事にすることである。

     

  • はがき伝道 2024年7月18日

    はがき伝道 令和6年6月432号 真福寺

     

    桃李自成渓

    由来は「桃李不言 下自成蹊」

    「とおりものいわざれども したおのずからけいをなす」

    である。

     

    桃や李(すもも)の花が、人里離れた山奥の

    渓流沿いや崖の上にたまたま根付き咲いている風情を思って頂きたい。

     

    長い年月を経て一本の桃李が育ち、

    大きくなりしっかりした幹を持ち

    根も張って枝を張り

    春風に誘われて花が咲く頃、

    たまたま旅人が通りかかり

    桃李の花を愛でる。

    それが毎年の季節になると

    次第に現物人が増えていく風景となるのです。

     

    花は一言も語らなくとも

    人が集まってくるのです

    そこに計らいはありません。

    花は唯々一生懸命咲ききるだけなのです。

     

    私達も自己を磨き、

    一つの事を一筋に

    生きていることで、

    何も言わずとも

    大きな人生の道が

    自ずとできてゆくのではないでしょうか!

     

    二宮尊徳翁は

    「声もなく 香もなく 常に大地は

    書かざる経を繰り返しつつ」

    と「不文の経」を語っています。

    生かされている今を大事に、

    感謝の心をもっていきたいものです。

    二度とない自分の人生を大事に生きて行きましょう。

     

    「花も美しい 

    月も美しい

    それに気づく心も美しい」

    円覚寺管長足立大進

     

    『美しいこと』に気づく心を磨きましょう。

     

     

  • はがき伝道 2024年7月18日

    はがき伝道 令和6年5月431号 真福寺

     

    地獄を生きる

     

    みんなそれぞれ十人十色の人生を生きている。

    他人から見れば幸せと思える人も

    実は人には言えない苦しみや地獄の中を

    もがき苦しみ生きていることもある。

    誰しも十人十色苦あり楽ありを生きているのだと思う。

    南無地獄大菩薩である。

    そこで生きているのが私達である。

    地獄極楽は紙一重とはよく言うものだる。

    幸不幸の違いを坂村真民先生は次のように言ってる。

    「幸せはどこからくるか。

    それは自分の心からくる。

    だからたとえ不幸に落ちても、

    心さえ転換すれば、

    灯台の灯のように。

    自分ばかりでなく、

    周囲を明るくしてくれる。

    そのことを知ろう」と言う。

     

    八木重吉氏は、「花はなぜ美しいか。

    一筋の気持ちで咲いているからだ。

    本当に美しい姿、それは一筋に流れたものだ。

    川のようなものだ。人生はいつ楽しいか。

    気持ちが一つになり切った時だ」と言っている。

     

    円覚寺派管長横田南嶺老師は

    「この道を行こうと思うなら、

    まず信じる事。

    信じるから努力できるのです」と語った。

    信じ切ることを一徹になりきったところに

    地獄が極楽に変ずるのだと思う。

     

    易経に「窮則変、変則通、通則久」

    という言葉がある。

    とことん追い込まれたら

    とことん自分を信じ切ることである。

    信じ切った時、

    気付きの変化が生まれる。

    窮し切った時にエネルギーの磁場変換が起こる。

    新しい世界の扉が開かれる。

    変ずることで不幸が幸福の道に通ずるのだ。

    信じ切ることで

    信じて努力する所に

    新しい世界が生まれ、

    通じた新しい道は

    久しく川の流れの如く通じていくということである。

     

    信ずるということは信じ切ることが大事である。

    人の真似をする人生は面白くもないではないか。

    人生は唯一度の舞台である。

    私だけの人生を生きようよ!

     

     

  • はがき伝道 2024年7月18日

    はがき伝道 令和6年4月430号 真福寺

     

    日本文化は四季と共存して出来上がってきた。

    人は自然を見なくなり、都会に自然が無くなったのである。

    米作り一つをとっても、

    田植えから夏の草取り

    秋の収穫まで、行程を昔の子供たちは

    通学の途中で毎日変化してゆく姿をみて育った。

    米がとれるために、

    どれほどの行程があり、

    どれほどの汗を流して

    作物が採れるかを

    体全体で体感していたのです。

    そして、時には嵐や災害台風により

    これほど大事に育てたコメが

    一夜にして全滅する姿を子供たちは

    見ることもあったと思う。

     

    今、子供たちが頭の中で考える世界だけで

    短期間で結果を手に入れる習慣が

    恒常化しているのではないかと考える。

    どんな世界でもコツコツ実地を踏んで

    大きな成果が手に入るのではなかろうか?

     

    都会から自然の深き息吹を学べない。

    そんな環境が一般化して作物が口に入るために

    どれほどの生産者の苦労があるか

    見えない時代になっている。

     

    春夏秋冬の変化の中で生活することにより

    我慢と努力を学ぶことが昔はあったのです。

    我慢して技術を体得する生活が欠如した。

    キレやすい若者は四季の風景の中から学ことが

    欠落しているのである。

     

    経典に「信心決定いたすべし、

    人々賢き智慧あれば、

    春は万の種を蒔き、

    秋は稔りを待つのみか

    今を知れぬ後の世の

    永き冥路を打ち忘れ云々」とある。

    しかし、今の若者にこの経典を

    読んでも響かないと思った。

    農村風景は欠如し工業情報産業で

    日本は成り立っている現在。

     

    春は万の種を蒔く風景はどこにもなく、

    秋の実りを待つ風景はどこにもないのである。

    特に都会においてはである。

    本来日本は農耕文化で成り立っていた国である。

    一年周期で作物を作り

    生産し生活経済を成り立たせていた国である。

    昭和20年以降そのシステムが崩壊していく。

    結果令和年間の今に至り、

    ヨーロッパ的生産形態に移行しているのである。

    農耕民的生産形態が変化した時代といえる。

  • はがき伝道 2024年7月18日

    はがき伝道 令和6年3月429号 真福寺

     

    「汝の行動は汝の預言者」聖書

     

    私が今とている行動はそのまま未来を予見している。

    亡くなった父は「蒔かぬ種は生えぬ」と口癖のように言っていた。

     

    小学校以前ですが、

    朝起きると草取り、

    冬から麦踏み、

    百姓の仕事をさせられました。

    勉強など教えない。

    本読む更々無しでした。

    しかし、父は日々筆を執り、

    本を読んでいました。

    毎日働き詰めでした。

    ただ、父の発案した事業はだいたい失敗していました。

     

    養鶏、養魚、植栽(桃李、他)寺院経営を成り立たせるための事業です。

    最期はサラリーマン(明治乳業、進駐軍、関東配電、農協、他)をしていました。

    寺で「ベークライト」をしてました。

    金銭には苦労していたのが本当だと思います。

    しかし、彫刻、芸術、書道物書きは

    日々怠らず磨いていました。

     

    結果寺にはものの見事な石庭、

    ご拝の彫刻など知らず知らず

    芸術的寺院が現れていきました。

     

    父の亡き後思うことは、

    知らないところに、

    縁の絆の種を蒔いていたことです。

    まず父母のおかげで私たち三人の子供が

    産み育てられ生かされていることです。

    報恩の心を持つまでに心の中で

    気づく時期には父母はいません。

    しかし、父母が植え付けた

    心の種が今芽吹いていることは間違いない。

    今思うこのごろである。

    心の相続は大いに難しいものである。

    父母ご先祖様の思いを気づかず死んでいく人の多いことか。