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はがき伝道 令和7年4月 443号 真福寺

 

 げんげんも 

 つつじも時と 

 咲きいでて

 佛生るる

 日に逢はんとや      

 

 子規

 

 4月6日朝、

花まつり当日である。

出席者から

「中央道ETC障害で

乗り降りレーンが閉鎖してしまって

時間に間に合わないけど向かってます」

という連絡が何人も来る。

10時頃から雨になるようだという予報である。

せっかく計画した“花まつり”が

おじゃんかと思う気持ちでいっぱいになる。

 

 前日にもしものことを考えて

本堂で“花まつり”をすることも準備していた。

 

 結果は本堂での開催となる。

 

 演者は東京からくるので

ヒヤヒヤでした。

本堂で“花まつり”が

無事終わり会食をするころには

晴天そのもの。

なんやかんやと

神様仏様にあそばれながら

生き仏が楽しく遊ばせてもらった

花まつりでした。

 

 今日令和7年4月6日の

花まつり無事成功である。

 

 明治15年4月6日

東光寺本堂焼失してより

143年後の邂逅となった。

 

 そして世界は

NY株2231ドル安の

相互関税競争の開始の日である。

世界史の令和の世界恐慌という

分岐点となる日になるかもしれない一日に、

生まれ生きる喜びを

気心知れた方々と分かち合い、

共に過ごす幸せを実感できたことは

とても有難いことだった。

 

はがき伝道 令和7年3月 442号 真福寺

祖禰社稷

(そでいしゃしょく)

敬神崇祖

(けいしんすうそ)

祖禰不了

(そでいりょうぜずば)

殃及児孫

(わざわいしそんにおよぶ)

 

 古来より

御先祖様の眠る

お墓「祖禰(そでい)」と、

五穀豊穣を祈る

神社の「社稷(しゃしょく)」が尊敬され

畏敬の念をもって大切にされました。

 

 昔は、今ある自分は

天と地の間で

生かされている存在であり、

御先祖様の眠るお墓に

「礼拝」お参りすることが

当たり前だったのです。

 

 従容録「祖禰不了、殃及児孫」

(祖禰りょうぜずば、

「殃(わざわい)」児孫におよぶ)

という言葉があります。

 

 御先祖様を

蔑(ないがし)ろにすると、

必ず子供たちに

災いが及ぶから

気をつけなさいという。

 

 春彼岸です。

お墓参りをしましょう。

御先祖様や両親家族親戚を

大切にし幸福な生活を

送っていきましょう。

 

はがき伝道 令和7年2月 441号 真福寺

 

生きなおしの5年間

 

 これからの5年間は

私の人生で新しい時代を見つめて

「生きなおし」の残された時間とすることに決めた。

私も70代半ばになった腰痛持ちで、

昔のように無理がきかない歳になった。

 

 若き日の希望や

人生の歩幅も限界があることを実感し、

死というものが現実味をもってきた。

 

 今までの人生は

人生として頑張った。

しかし、死を目前にして

あと残った人生を5年と計算して、

これから天より預かった

残りの5年間の時間を

他人との関係やマスコミ含めて

終活に振り回されない、

家族の崩壊に振り回されない、

病気に振り回されない

自分ができる自分だけの存在を

真剣に本気で生き切る

「生きなおし」の時間に

あてることを決意した。

 

 はがき伝道も

あと5年間続ければ

めでたく500号になる。

自分の命の価値を

最高にするためにも、

磨き直す「生きなおし」の時間にする。

 

 誰しも死はくる。

70過ぎれば生き甲斐を捨て、

安楽な死を望んだり、

絶望の渦の中で

孤独に一人で

何の生き甲斐もなく

様々な不安だけを

毎日思って生きることが

多くなると思う。

しかし、私はそんな死に向かう

残りの5年間にしたくないのである。

 

 どんなに強がっても

50年後は

土の中に身を置くこと間違いなし。

それが私である。

 

 オギャーと産まれて、

ここまで生きてきた。

あとの残った5年間、

第二のオギャーの5年というところかな!

 

 自分で見つけるしかない。

「生きなおし」である。

畑で言えば、

冬の天地返しである。

生まれ変わって

新しい春の花を見て、

微笑むとき終活はいらない。

 

はがき伝道 令和7年1月 440号 真福寺

 

 五つの忘れ物 (平成16年9月190号より引用)

 

 1、  この世にたった一つしかない大切な命である。 

その自分が生かされていることに

感謝する心を忘れていませんか。

 

 2、  親に産んでもらった命。

産んでもらったことに

「ありがとう」の心を忘れていませんか。

 

 3、  親に守ってもらい育ててもらった命である。

育ててもらったことに

「ありがとう」の心を忘れていませんか。

 

 4、  御先祖様が引き継いで実現した

我が身であることを忘れていませんか。

 

 5、  死んでしまうと

二度と再生できない大切な命であることを

忘れていませんか。

 

 納得のいく人生を生きて命は輝きます。

御先祖様から繋いで頂いた尊い命の絆に

「ありがとう」の心を捧げる

報恩感謝が大切だと思う。

 

 心の奥底から腑に落ちる人生を

送ることが大事です。

本心で納得する。

腹に落ちる合点があれば、

人生は必ず成功する。

中途半端な納得、

他人の目を気にして導いた行動は

失敗すると心得たらいい。

 

 御先祖様の眠るお墓は

過去から現在に至るまでの

我々の映し鑑である。

今日という日が

たくさんの過去に支えられているように、

かつてこの場所にいた大勢の人たちが

大切に守ってきてくれたお蔭で

私たちが今ここにいます。

 

 未来の人のために

「未来に生きる人達が過ごす場所を

『お預かりしている』という気持ち」

が私たちに必要ではないかと、

千宗室さんは“道筋を守る”(『淡交タイムス』より)の中で

語っています。

 

はがき伝道 令和6年12月 439号 真福寺

 

 「伝統の架け橋」と題して

千玄室氏が語っている。

2024年9月号(淡交タイムスより)

英国の歴史学者アーノルド・トインビーは

「自国の歴史、伝統を知らない民族は滅びる」

という言葉を残した。

今の時代は傍若無人な「自由」が幅を利かせ、

歴史や伝承といったものを

ないがしろにされているように思われる。

 

 誰もがもっと自国の事を知り、

若い世代の人達に良いものを

伝えていかなくてはならない。

この「伝える」ということが極めて重要である。

と氏は語っている。

伝統の架け橋をはずした時、

国家や民族は「自由」という名のもとに滅びる、

と私は思った。

帰家隠坐という言葉がある。

帰る母国がある。

守る私の伝統がある。

誇れる私の心がある。

この日本がなんと素晴らしいことかと思える毎日である。

 

 「この日本に生まれ育ったことを

誇りに持てる私でありたい」

と改めて思った。

 

 現在、高齢者の増加(団塊の世代75歳以上2076万人、

80歳以上1290万人)と

若者層の減少が逆三角形になっている。

そんな時代の社会風景の中で、

この一年いろいろありました。

正月元日の能登半島大地震に始まり、

世界的政治変動、

日本国内の、SNSによる選挙の体質変化等々。

しかし未来は必ず新春を迎えます。

良き人生、良き未来の幕開けを大事にしましょう。